高畑勲の『太陽の王子 ホルスの大冒険』 (≧∇≦)
 宮崎駿が到達することのナい、ある「高み」について ( ゚∀。)

今日の夕方、
 ついに、『太陽の王子 ホルスの大冒険』を観たのす (〃∇〃)

1968年夏の「東映まんがパレード」にて、
 『ウルトラセブン』などと同時公開されたのだ (・∀・)

いきなり、個人的に脱線するが、
 宮崎駿作品の「わざとらしさ」が大嫌いである (ノд`)

すべての作品を観ている訳ではナいが、

初監督作品である『未来少年コナン』は、全然、許せるとしても、
 『魔女の宅急便』『紅の豚』は、もうダメだ (ノд`)

「ここで、笑うんですよ」とか「ここが、山場ですよ」と云ってるのが、
 あまりに分かり過ぎるのが、ツライのだ ( ゚∀。)

激しく過大評価された作品として、『天空の城ラピュタ』があるが、

低級な音楽のライヴのように、
 「合図」だらけで、終始、イライラするのだ (ノд`)

で、この『ホルス』であるが、
 高畑勲の初監督作品と云われている ( ̄□ ̄;)

クレジットでは、「演出」となっているが、
 制作のトップだったのは、高畑勲らしい (*´∀`)

極めてストイックで、寡黙な作品である ( ̄□ ̄;)

本作のように、「生命の根底の暗さ」
 あるいは、「人間性への懐疑」を秘めているアニメ作品として、

『銀河鉄道999』『宇宙の騎士テッカマン』を思い出したが、

主要キャストの「葛藤」をどう描くかが、
 「作品の成否」にかかわっていると思えてくる ( ̄□ ̄;)

本作における、ヒルダの表情や心理描写は、
 もはや、比類ナいレヴェルだと云えるのだ (〃ノ∇ノ)

1978年に放映された『未来少年コナン』が、
 本作を「意識」していたのは明白だが、

ヒルダとモンスリーを比較すると、
 後者の「心変わり」は、ずいぶんと説得力を欠いてる (ノд`)

「ご都合主義」とでも云いたくなる、残念なレヴェルだ ( ゚∀。)

もっとも、『ホルス』の本当の主役は、ヒルダであり、
 ホルスが喰われてしまったのが、最大の弱点かも知れナい ( ゚∀。)

強い存在のヒロインと云う点で、
 ナウシカの原型とすら、云えるかも痴れナい ( ̄□ ̄;)

宮崎駿が、ヒロインの葛藤を描いてみせるのは、
 もはや「お約束」だが、

何度トライしても、
 あまりの浅薄さで、ヒルダには遠く及ばナいのだ (ノд`)

あえて、軽く作ってるのかも痴れナいが‥‥ ( ゚∀。)

ともかく、ヒルダの「精神の孤独」を描ききった、
 高畑勲の『ホルス』には、凡庸さだけがナい ( ̄□ ̄;)

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『復刻! 東映まんがまつり 1968年夏』

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