老父は、身罷りますた ( ̄□ ̄;)( ̄□ ̄;)

08月13日の午後、老母と付き添いを交代し、
 「海峡」を越えて、19時44分頃、実家に戻るや、

病院の老母から、老父は熱が出ちった、とテルル ( ̄□ ̄;)

さらに、老母テルルが来て、

37.8度の熱があり、
 血圧が下がり、尿も出てナい、とか云うのだけも、

きっと、また大したことナい、と思ったのす (*´∀`)

わたにゃんがケェタイを持ってれば、 ←少し前に解約すた
 途中で引き返すこともデキたのだろぉけも、

取りあえず、
 翌朝の舟で、折り返すことにすたのす ( ゚∀。)

が、08月は観光シィヅンでもあり、
 22時40分発の深夜の舟があるのす ( ̄□ ̄;)

老母を安心させるため、一応、ユくことにすたのす (・∀・)

21時28分頃、出撃~♪

わたにゃんは運転がデキひんので、 ←免許は持ってる
 近所の人に、港まで送ってもらって、

深夜の「海峡」を越え、N型港からはタクスィに乗り、

14日01時24分頃、
 「GUNセンタァ」(仮名)を強襲すますたが、

アンニュイな看護婦さん(死語)が、 ←小学生の娘が2人

 間に合わなかった ( ゚∀。)

とか、云うのす ( ̄□ ̄;)

一瞬、意味が分からんかったけも、

14日の00時58分頃、
 すでに、死亡が確認されてますた ( ゚∀。)

アンニュイな看護婦さん(死語)が、
 病院に来た時の服を着せて、お化粧もすてくれますた ( ̄□ ̄;)

で、24時間営業の葬儀屋にテルルし、
 しゃどぅ地方まで、老父を運んでもらうことに ( ゚∀。)

っつう訳で、一睡もせず、夜明けを待って、
 地下の霊安室で、主治医らと棺に納め、

老父の棺をのせた車を09時25分の舟に乗せ、
 老母としゃどぅ地方に帰りますた (ノд`)

生きて、郷里の土を踏ませてあげたかった ( ゚∀。)
それがデキひんかったのは、我らの「敗北」なのす (ノд`)

SF(少し不快)な爺さんデスたが、
 毒舌を吐かヌ最後の数週間は、大きくて、ばっちい赤ちゃんですた (ノд`)

14日は、自らの書斎の西向きの棺の中で、人形のよぉに黙ってた老父も、
 15日に火葬され、

けん象夫婦が帰京しる18日に、の~こつ されますた ( ゚∀。)

ちなみに、わたにゃんは、喪主だったのす ( ̄□ ̄;)

 もしゅもしゅ、はいはい♪

などと、ふざけてるチマはナく、
 葬儀屋の兄さんにトリッキィな迷惑をかけつつも、

お通夜と告別式(ねじ式ではナい)をクリアすますた ( ゚∀。)

そう云えば、故・江畑謙介先生が書かれてますた ( ̄□ ̄;)

 海峡は川ではない‥‥

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