忍ぶ川 (核心)


1972年5月25日公開、俳優座作品、東宝配給
監督:熊井啓 脚本:長谷部慶次、熊井啓 音楽:松村禎三 美術:木村威夫
出演:加藤剛、栗原小巻、信欣三、瀧花久子、岩崎加根子、井川比佐志、永田靖、ほか

ああ、見えるよ、いい男だよ。


人生という旅の途上で
(まじめにレヴュー:{}内は、わたにゃんの解釈)

 木の板に『忍ぶ川』の文字。ハープとマリンバが伴奏し、ギターで奏でられる暗いテーマ音楽。{ ただならぬ世界を予感させる音楽である。 }
 { 運転席からの視点で、 }走る路面電車。{ 人生が旅であることを暗示しているようだ。 } 車窓から外を見ている若い女(栗原小巻)。「ああっ、深川に、あんな新しい建物が。」 「だいぶ前からだよ。」と、笑う若い男(加藤剛)。「まあ、あたし、田舎者みたいですわね。うふ。」 満足げな男のアップ。揺れてぶつかり合うつり革の時計のような音。路面電車の轟音。
 中間字幕(映像を中断して暗転した画面に表示する字幕)「私が志乃と 識りあったのは 寮の 卒業生送別會の 晩だった」 { 私の名は、哲郎(てつろう)。原作者は、三浦哲郎(みうら てつお)である。 } 学生服を来た男たちが飲んで、歌っている。ひとりの卒業生(河原崎次郎)が、立って話し始める。河原崎は、付近の飲み屋を残らず踏破したが、忍ぶ川だけは、一歩も踏み込めなかったのが遺憾だと言う。だが、格式ぶってる、酒が水っぽいと反発する学生たち。河原崎は、潮田(鶴田忍)を名指し、彼が、忍ぶ川の女にソデにされたことをばらす。笑いが起こるが、気まずい雰囲気となり、歌もやんで、潮田は退席する。ひとりが「おい、行こう。忍ぶ川へ!」と言うと、皆、その気になる。哲郎は、気が進まなかったが、行動をともにしろと言われ、後から行くと答える。{ 年も少し離れていると言う設定(あくまで、設定)の哲郎は、浮いている感じがする。 }
 部屋で手紙を書く哲郎。遠くで歌が聞こえる。{ 時間的には、送別会に参加する前か。 } 大学病院で遺伝学をやっている先輩に、死んだ兄のことや姉の香代の病状を話し、治療の方法があるかを聞いたこと。姉の病気は、突然変異扱われていること。窓に歪んで写る哲郎の顔。雪の中の民家。哲郎の語り。「先輩は、はっきりしたことは言わない。だが、ぼくは、兄貴たちの死を思うと、いつ自分にも、あのような精神的遺伝形質が現れるのか、不安で夜も眠れない時がある。」 民家の戸を開け、外を見ている、黒メガネの女、香代(岩崎加根子)。母(瀧花久子)が現れ、月を見ていると言う香代を「バカな子。今日は三月の一日だえ。お月さまなんか出てるはずがない。」と笑う。
 忍ぶ川。店が気に入った学生たち。飲みすぎてダウンしてる哲郎。学生たちは、女給をからかっている。「ほら、見ろ。あれが潮田をふった女子(おなご)だ。」と河原崎。起きる哲郎。哲郎にあいさつして去る、冒頭で、路面電車に乗っていた女。「おい。ちょっと。」と、女を呼び止める哲郎。女がふり返り、見つめ合う。「うんと冷たい水を持って来てくれないか。」 哲郎のアップ。女のアップ。「はい。」と、爽やかに笑う女。「へええ、あれが潮田をね。ちょいと信じられねぇな。だけど、人は見かけによらんからな。分からねぇ。分からねぇ。」と、つぶやく哲郎。{ 女が、やさしそうに見えたのだろうか。 } 「お待ちどうさま。どうぞ。」と女。哲郎のいるカウンターを拭く女。「君は、今のひとりごとを聞いただろ。」 「人は見かけによらんからなってとこだけ聞きました。」 「君のことだよ。」 真顔になる女のアップ。「潮田をソデにしたのは君だってね。」 「あらぁ、ソデにしたなんて。あの方がせっかちすぎただけです。」 「せっかちでなければ、ソデにしないか?」 「うふ。お人によります。」 下を向いたまま話し合うふたり。女を見て、「オレはどうだ。」と云う哲郎。「さあ。今夜初めてお目にかかったんですから。分かりませんわ。」と、お茶を濁す女。「そうか。じゃあ、明日も来る。」 「どうぞ、ご都合よろしかったら。呼んでくだされば、さっそく拝見に参ります。」 哲郎のアップ。「何と言う名だ。」 笑う女のアップ。「志乃と申します。」 ギターが、少しゆっくりとテーマ音楽を奏でる。{ 哲郎に影があるのが良い。 } 自室で寝ている哲郎。起き上がるが、二日酔いである。{ 加藤剛の演技がリアルで笑える。 } 昨夜の会話が蘇る。「何と言う名だ。」 「志乃と申します。」 窓を開けると電車の轟音。哲郎の語り。「夕べ、母に書いた手紙が、何だかやっかいなものになっていた。」 { 志乃に惚れてしまったようである。 }
 忍ぶ川にやって来た哲郎。「お酒と、志乃さん。」 驚く女給。{ 何故、驚いたのだろう? 掟破りだったのだろうか。 } 待つのが落ち着かない哲郎。哲郎の後ろ姿を見つけ、秘かによろこぶ志乃。「あら、イイネ。心弾むようだ。それで、春のことを英語でスプリングってんだろ。」と、お客の会話。{ 志乃の心が弾んでると言ってるかのようだ。 } 酒を持って、哲郎のテーブルにやって来る志乃。「いらっしゃい。」と、隣りに座る志乃。「夕べはどうも。」 「うふ。よく来てくださいましたわね。」 酒を注ぐ志乃。無音になる店内。言葉がない哲郎。「お近くですの?」と志乃。学生寮の話になる。「あなたも、ご卒業ですか?」 「いや、まだだ。」 やや気まずい雰囲気。「おかしいか。」 「何がですの。」 「本当なら、もうとっくに卒業してるはずなんだ。」 暗い表情で、飲む哲郎。「志乃さん。お二階で呼んでます。」と、最年少のトキちゃん(渡辺千鶴子)。白けてしまう哲郎。「いつもは、どこでお飲みになるんですか?」 「たいがい、ガード下のおでん屋か、線路沿いの飲み屋だ。」 { 明らかに卑屈な哲郎。 } 「たまには、ここへも来てくださいね。」 { 影のある哲郎を笑顔で温める志乃。微温な空気。志乃がクールな女だったら、成立しないカップルだ。 } 「志乃ちゃん、二階でお待ちかねよ。」と先輩の女給。「今、大事な用してるのよ、何とか言っといて。」と志乃。「うふふ。」と笑う志乃だが、既に居場所を失っている哲郎。何か話そうとして、ためらう哲郎。深刻な声で「志乃さん。」と哲郎。上ずった声で「はい?」と志乃。{ 志乃は、既に出来上がってるようだ。 } 「約束したから、今夜だけ来たんだ。あんたの、「はい」って声だけ聞けたら、帰ってもいいと思って…。」 金を出し、立ち上がる哲郎。割りきれない表情で見送る志乃。{ 志乃は、もう来ないかも知れないと思ったことであろう。哲郎には迷いがあり、本気になれなかったようだ。 }
 昼。雑踏の中を歩く哲郎。疑惑を感じさせる音楽。哲郎の語り。「私は昼、志乃を信ずることができなかった。志乃の好意も商売のうちと、疑わない訳にはいかなかった。」 香代が古い人形を見ている。画面の周囲はボケている。「母さん、この人形、いつごろから家にあったのすか?」 分からないと答える母。人形は、顔の半分がただれたように傷んでいる。{ 哲郎や彼の一族の暗い運命を暗示しているようだ。 } 夜。傘をさして、雨の中を歩く哲郎。哲郎の語り。「しかし、夜になれば、私は志乃を疑うことができなかった。志乃の好意を真心(まごころ)と信じない訳にはいかなかった。」 { その顔を見ることができない昼間は不安でいたたまれないが、夜、店で顔を見れば、安心できるのである。 } 初夏らしい。ビールを飲む哲郎と酌をする志乃。深川(ふかがわ)の話。「学校までの道筋をのぞけば、東京中で一番馴染みの町だ。」と哲郎。「深川は、あたしが産まれた土地です。」と志乃。栃木へ疎開してから、行ったことがないと言う。ビールを飲み、少しためらって、「一緒に、行ってみようか、深川へ。」と哲郎。「ええ。」と、笑う志乃。「でも、なかなか休めないんです。」と、ビールを注ぐ志乃。「残念だな。」と、ビールを飲む哲郎。すると、「藪入り(やぶいり)の日まで待っていただけません?」と志乃。「あと一月か。」 「はい。」 { 7月16日のことらしい。 }
 走る路面電車。{ 冒頭のシーンの続き。 } 「東陽公園前」で下車する哲郎と志乃。哲郎の語り。「志乃は、もはや帰って来はしない私の兄を私が最後に見た場所へ行ってみたいと言うのであった。」 木場(きば)を歩く二人。製材所の風景。不意に涙が出る哲郎。ハンカチを渡し、解説する志乃。木場の風に混じってる木の粉が原因なのだ。ギターがテーマ音楽を奏でる。「兄に連れられて、初めて木場を歩いた時、泣いて兄に笑われた。私は、兄弟肩を並べて歩ける嬉しさに胸がはちきれそうだったが、それにもかかわらず、目だけ泣けてくるのは、やはり、風のせいであった。」 水中貯木場を歩く二人。しみじみと奏でられるギター。「ここが終点だ。ま、こんな所さ、木場ってとこは。何にもありゃしない。」と哲郎。「良い風だわ。」と、笑う志乃。「やっと深川へ帰った気持ち。」と、遠くを見ている志乃。「帰ろうか。つまらんだろ。」と哲郎。「せっかく来たんじゃありませんか。もう少しいましょうよ。」と志乃。{ 二人の温度差が面白い。本作は、志乃が哲郎を救済する物語とも言える。 } 通路の端にしゃがみ、「ここですか?」と志乃。「ああ。」と哲郎。兄のことを話す哲郎。兄は、戦後、ここの木材会社で働き、哲郎の学費を出していた。{ その話によると、本作の舞台は1950年代である。 } 7年前の春先の回想。金をもらいに兄(井川比佐志)を訪ねてきた哲郎。礼を言って帰ろうとすると、呼び止められる。「何? にいさん。」と哲郎。水面に歪んで写る兄の姿。怪しい音楽。不思議そうに兄を見つめる哲郎のアップ。{ 兄の狂気を暗示しているようだ。 } 「うん、良し。もう、帰れ。あんまり使うな。」と、爽やかに笑う兄。{ 最後に、弟の顔を眼に焼き付けておきたかったのだろうか? } 現在に戻る。しゃがんでいる哲郎と志乃。「お兄さんとは、それっきりですか?」 「それきりだ。」 「その後、お兄さんは?」 「死んだ。」 複雑な表情で答える哲郎。「さ、行こう。」と立ち上がる哲郎。ふり返ると、黙祷している志乃。哲郎の語り。「私は、子供の頃から、兄弟のことを聞かれると、いつでも、死んだと答えていたのだ。それだけ言えば、何も言わずに済んだからである。」 やる瀬ない表情の哲郎。{ 志乃の素直さを重荷に感じたのではないだろうか? } 不条理さが炸裂するような音楽。
 洲崎(すさき)に向かう二人。道を思い出す志乃。洲崎パラダイスと言うネオンの看板を読み、「パラダイスなんて、あたし、何だか嫌ですわ。」と志乃。娼婦の街なのだ。哲郎の語り。「私は、真っ昼間、自分の思いをかけた女と、雨降りでもあるまいのに、白い日傘の相合傘で、よもやこんな街を歩くことになるとは、夢にも思わなかった。」 歩く二人。念仏や下手な歌が聞こえ、子供が遊んでいて、妙な活気がある。「ここだったんです。あたしの生まれた家があったのは。」 女の裸の看板の前。「あたしの母は、ここで射的屋をしてました。あたし、くるわの射的屋の娘なんです。」と志乃。「いいんだ。いいんだよ、それで。」と哲郎。「忘れないようにたんとご覧になって。」 何か苦しそうな哲郎。11歳の夏まで、ここにいた志乃。回想シーン。花火。少女時代の志乃。射的をする客と、酒を呑みながら、その相手をする志乃の父(信欣三)。客に、粋なことを言う父。回る風車。{ 詩的な表現にあふれている。 } 現在に戻る。志乃の日傘に石が当たる。驚いてふり返る志乃。二階の窓から顔を出し、二人をはやす娼婦たち。逃げ去る二人。{ いかにも品の悪い女優を集めてるのが、分かりやすい。 }  店で、かき氷を食べる二人。さっきの娼婦たちが遊び半分なので、ハラハラすると志乃。「時代が変わったせいでしょうけれども、中途半端なお女郎さんなんて、たまらなくいやらしいものなんです。父に見せたら、きっとがっかりしますわ。」と志乃。言葉がない哲郎。「あたし、変なこと言ったんでしょうか?」 「いや。ただ…。」 笑みを浮かべ、かき氷を食う哲郎。{ 今まで知らなかった世界を見て、圧倒されてるのかも。深川によく来ている哲郎であったが、洲崎には寄りつかなかったのである。 } 「父に似てるのかもしれませんわ、あたし。」 「お父さんて、どんな人?」 「父ですか? 父は、ぐうたらな人なんです。今は病身で、ぐうたらもかわいそうになってますけど…。」と、嬉しそうに話す志乃。若い頃、なまじ学問をかじって勘当され、ぐれて学問もすてて、酒びたりだったらしい。「それでも、弁天さまの祭りの日には、絽(ろ)の羽織かなんか着て、くるわでは、当り矢(射的屋の名前)の先生って呼ばれてたんです。」と、得意気な志乃。「落ちぶれたお女郎たちの面倒みたり、相談相手になったりしていたようです。」 だんだん、深刻な表情になる志乃。「あたしをかわいがってくれたお女郎さんに、利根楼のお仲さんって人がいましてね。」 肺病で商売ができなくなり、父に相談に来ていたと言う。深刻な顔の哲郎のアップ。ギターによる暗いテーマ音楽。「そのうちとうとう、どうにもならなくなって、八幡(はちまん)さまの祭りの日に、ところてんの中に毒を入れて、食べて死んじゃったんです。ところが、利根楼の人たちは、くるわ一の情け知らずで、気味悪がって、誰も後始末をしたがらないんです。ですから父が、何から何まで引き受けて…。」 回想シーン。風船を持っている少女時代の志乃。棺を持って来た白い着物の父と利根楼のおじさん。死んで横たわるお仲。拝む父たち。離れて見ている女郎たち。納棺される、お仲のアップ。哲郎の実家にあった古い人形が重なる。{ 哲郎の過去への伏線と言うか、序奏のようである。 } 神輿(みこし)で盛り上がる祭り。棺桶を引いてゆく父と、つき添う志乃。見下ろしている女郎たち。{ 現在の娼婦たちと対照的に、悲しげで、美しい女優を集めている。 } 現代に戻る。「あたしって、小さい頃から、そんなことばかりしてたんですよ。」と、笑う志乃。だが、哲郎は深刻な気持ちになっている。
 志んおほはし(新大橋)を渡る二人。「あたしのことは、全部、あなたに見ていただきました。これですっかりです。良い気持ち。」と志乃。{ 哲郎を心から信頼しているようだ。 } 「ね、これから浅草行きません?」と志乃。志乃の父は浅草が好きで、よく、一緒に遊びに行ったらしい。「でも、せっかくの休みだから、栃木へ行って来た方が良くはないかな。お父さんや弟さんたちも待ってるだろうし。」 「ええ、でも…、せっかくの休みだから、普段できないことをしたいんです。やっぱし、浅草行きたいわ。」 「じゃあ、君の好きなようにしよう。」 「あ、嬉しいっ。」 はしゃぐ志乃。  浅草寺。市を見る二人。ギターによるテーマ音楽。縁起物のほおずきを売っている。{ 威勢の良い兄さんが味わい深い。本職の人? } 古いものが消えて、世の中が変わって行くのが少し悲しいが、それでいいのだと言う志乃。線香の煙を浴びることに抵抗を感じる哲郎。祖先の霊を餓鬼の苦から免じ、父母や自分たちの寿命を守るために祝うのだと、父から聞いたお盆の解説をする志乃。手を合わせる志乃。手を合わせず、伸ばした両手を握って両眼を閉じる哲郎。寺の中で、読経を聴きながら、合掌している二人。{ 世間から浮きがちの哲郎も、一時的ではあるが、世間並みになったのかも。 } 中間字幕「その日は 晝(ひる) 志乃を信じた さいしよになった」 お土産の風鈴を志乃に渡し、握手する哲郎。志乃を見送る哲郎。志乃はふり向いて、風鈴を鳴らしてあいさつする。笑う哲郎。哲郎の語り。「その夜、私は志乃に対して、深く恥じ入るところがあった。昼、志乃があんなにも素直であったのに、私は相も変わらず、卑屈であったことを恥じたのである。」 忍ぶ川の女給たちの部屋。トキちゃんが志乃を呼ぶ。浅草で買った風鈴が鳴っている。哲郎から預かった手紙を志乃に渡して去るトキちゃん。{ いつも照れ笑いしてるような顔で、女優としては不器用だが、妙にかわいい娘(こ)。 } 誰もいないのを確認し、手紙を開封する志乃。
 哲郎の語り。「深川で言いそびれた私の兄弟のことをここに記します。私の家は、代々続いた呉服屋で、私は六人兄弟の末っ子です。私が六歳の春。よりによって私の誕生日に二番目の姉(片山まゆみ)が自殺したのです。」 尺八の独奏。葬式の場面。事情がよく分からず、姉の遺影を見て笑う哲郎。長姉(山口果林)にすがって号泣する、哲郎のすぐ上の姉、香代。「美那姉さんは、愛してはならぬ人を愛して、煩悶の末、津軽の海へ入水したのです。」 { 結婚が神聖視されている時代の言い回しかも。1950年代が舞台の本作は、結婚への神聖視によって貫かれているが、映画公開時は、既に、そうではなかったようである。わたにゃん的には、チャンスは1回きりと言うルールの結婚には不条理を感じ、美那さんに同情したくなる。 } 食事の場面。尺八と琴の合奏。眼で会話をする長兄(可知靖之)と長姉。「同じ年の秋遅く、長男の兄が失踪しました。兄はひどい神経質で、妹の不幸におそらく、堪えきれなかったのでしょう。今だに行方が分かりませんから、死んだことは確実です。」 食事の席から、戸も閉めず、去ってゆく長兄。琴の独奏になる。長姉が弟子に琴を教えている風景。虚ろな表情の長姉。「同じ年の冬。上の姉の亜矢さんが自殺しました。妹を殺したのは自分だとひとり決めして、琴を枕に服毒したのです。」 琴のアップ。ひとりでに切れる弦。{ ドキッとする場面。カメラに写らないように、ニッパーで切ったのか??? } 防波堤とウミネコの群れ。海を見ている香代が、哲郎に、長姉が死んだことを教える。すすり泣く香代。群れ飛ぶウミネコを見ている哲郎。「私には、死は、一種の恥だとしか思われませんでした。兄や姉たちの死、および不幸は、ことごとく羞恥の種でした。」 祈祷師の老婆を訪ね、祈る母。「残った兄は、良くできる、しっかりした人でした。{ ご飯も、もりもり食べます。 } 深川にいたのがその兄です。ところがその兄が、7年前の春の終わり、自分で木材会社を設立すると言う名目で、資金集めに帰郷して、私の家の乏しい財産はもちろん、方々の親戚からも借金して、その金を持って逐電(ちくでん)しました。」 閉店した店内で、手紙を読む志乃。「理由は、皆目、分からないのです。私は、身体が震えるほどの恥を感じました。それは、私たち一家の恥であると同時に、彼の暗い野望を少しも見抜けなかった私の愚かさの恥でもありました。木場では、嘘を言ってすみません。この兄の背信は、私たち一家にとって、大きな打撃でした。父は脳溢血で倒れました。」 大人になった哲郎に、あんただけが頼りだと嘆く母。「兄さんや姉さんたちの真似はやめにしてくんせ。なし、頼むえ。」 陰で聞いている香代。「私は、羞恥の塊になって東京を逃げ、故郷の漁師町で3年間、中学校の教師をしていました。それもやめて、さらに1年ほど、父の実家のある村に隠れて過ごしました。」 中学校の廊下を遠くへ歩いて行く哲郎。「そのうちに、再び、大学に戻る気持ちになって、上京しました。それで、他の人よりも、ずっと遅れてしまったのです。私は、来年の3月で27歳になります。」 女給たちの寝室で、手紙を読む志乃。他の女給たちは眠っている。「だが私は、かつて私の誕生日を祝ったことがありません。その日が、何だか私たち兄弟の不幸な運命の日のような気がするからです。3年前のその日、私は気が滅入って、ふと、深川へ行きました。深川歩きの始まりです。それ以来、心が衰えると、私は決まって深川を歩きました。すると私は、兄の幻に反発して、知らぬ間に心が引き締まるのです。私もこれで全部です。」 寝床で涙を流す志乃。{ 哲郎の影を理解したのだろう。 }  翌日(?)、学生寮を訪ねてきたトキちゃん。志乃から預かった手紙を哲郎に渡して去る。「来年のお誕生日には私にお祝いさせて下さい しの」と、筆で書いてある。やさしげな表情になる哲郎。{ 哲郎の一族の暗い血も受け入れた志乃。順風満帆である。 }
 夏の公園を走る志乃。セミが鳴いている。待っていた哲郎。「すみません。」と志乃。{ わたにゃんも経験があるが、恋人が遅れると、待っている間、悪いことばかり考えてしまうものである。哲郎は、怒り狂ってるようである。 } ベンチに座る二人。「宿命なんだ。 { 本作を何回も観ると、ここで爆笑するようになるのは、わたにゃんだけではあるまい。 } そうでなければ、ひとりが滅んだのをきっかけに他の幾人もが他愛もなくずるずると滅んで行く訳がないんだ。ぼくたち兄弟の血は、滅びの血ではないかと思うことがあるよ。」と、晦渋な顔の哲郎。「あたし、どんな人だって、何かあると思う。あたしだって、自分の身体の中に、どんな不幸せな血が流れているか知りませんわ。でも…。」 「でも? 何さ、君は自分の身体の中に、どんな不幸な血が流れていても、それに逆らって生きていけると言うのかい。それは無理だよ。どんな明るい希望を持ったって、いつかはやって来るんだ。突然に。そいつは、ぼくを滅ぼしてしまうかも知れない。宿命観なんか、ぼくは嫌いだ。だけど、いくら否定しても事実なんだ。厳然とした事実なんだ。医学がはっきり証明している。」 { 医学が出たぞ! } 「もし、あたしもそんなだったら、死ななければならないんですのね。」 ギターによるテーマ音楽。はっとする哲郎。「でも、あたし死にたくないわ。あなたも死なないでください。」 志乃の手を取る哲郎。「志乃さん、ごめん。ぼくは、こんなことを言うために、あんたを誘い出したんじゃなかったんだ。」 キスしそうになるが、哲郎の頬に額をつける志乃。肩を抱く哲郎。{ 結果的に、また一歩、前進した二人。 } 公園で遊ぶ子供たち。{ セミとりの少年たちの演技が学芸会レヴェルで白ける。本作は、概して、子役に対する演出が甘い。 } 白いユリの花。乳母車の幼児。哲郎の語り。「秋になれば、その公園の花々もやがては死に絶えてしまうものを。私は志乃のために、そのめくるめく夏の最中(さなか)を、精一杯に生きてやろうと思うのであった。」 歩きながら、笑い合う二人。{ まさに、順風満帆。何が起こっても壊れない絆を感じさせる。 }
 大学の構内。潮田と出会う哲郎。家が破産し、学校をやめて帰郷する潮田は、突然、志乃に男がいると言い出す。驚く哲郎。「おれは都落ちの落後者の腹いせで、行きがけの駄賃に嫌がらせ言ってるんでねえ。{ この捨て鉢な表現は、かえって、嫌がらせっぽく聞こえるが…。 } 誤解しないでくれ。確実な筋から聞いたんだ。その婚約者だと言う男の名も知ってる。」 「何て言うんだ。」 「本村幸房(もとむらゆきふさ)…。」 セミの声が大きくなる。ウミネコの群れ。走る哲郎。焦燥感を感じさせる音楽。哲郎の語り。「私は、潮田の話を少しも信じられなかったにもかかわらず、不安はひとりでにつのって、疑いの雲を広げた。欺かれているのかと思った。」 浅草の帰りに、風鈴を鳴らしてあいさつした志乃の回想。開店前の忍ぶ川に駆け込む哲郎。掃除中のトキちゃんに、志乃を呼ばせる。落ち着かない哲郎。「どうなすったの、一体。」と志乃。「あんた、本村と言う人を知っているか? 本村幸房。」 「誰からお聞きになったの?」 「誰からでもいい! その人は、その男は、あんたの婚約者だと言うのは本当か?」 下を向く志乃。「言ってくれ!」 「言います。全部お話しします。でも今は、ここではお話できません。今夜七時に陸橋の上でお待ちになって。母さんから一時間だけ暇をもらって、必ず行きます。ですから、今はどうぞ堪忍して。」 「あんたは洲崎で、これで全部だと言ったね。嘘だったのか?」 「いいえ、お話ししなくても済むと思ったから、口に出さなかったんです。嘘なんか、志乃は、嘘なんか死んでも言いやしません!」 「七時を六時にしてくれないか。待つ時間が堪らないんだ。」 「結構です。六時に必ず参ります。」 去る哲郎。民謡と三味線の音が聞こえてくる。宴会をしている。女将さん(木村俊恵)の指示で、メガネの男、本村(滝田裕介)に酌をする志乃。女将さんに、腕の良いセールスマンである本村との結婚を勧められる志乃。本村の上司の課長(稲葉義男)もグル。「でもあたし、家に仕送りをしなきゃなりませんし…。ほんとに父も一緒に引き取って、病気みてやれんでしょうか?」と志乃。志乃さえ承知すれば、課長と本村が協同責任で一切面倒をみると言う女将さん。
 銭湯で頭からお湯をかぶる哲郎。女の笑い声が聞こえる。中間字幕「奪う」 哲郎の語り。「何故もっと早く、それに気がつかなかったのか。」 湯船の中で暴れる哲郎。「奪う。志乃を奪う。婚約者があったら、彼から志乃を奪えば良いのだ。私はなんとしても、志乃を奪い取らねばならぬと思った。」
 陸橋の上で待つ志乃。歩いてくる、怒りの哲郎。墓地を歩く二人。「あたしが馬鹿だったんです。本村さんは、あたしの婚約者ってことで、お休みの日なんか、一緒に映画観に行ったり、お茶を飲んだりしたんですけど、あたし、ちっとも嬉しくなかったんです。本村さんは、おかしいほど式を急いで…。」 デートする志乃と本村のシーン。「結婚式の日を決めたのか?」 「いいえ。勝手に、式はどこで、新婚旅行は飛行機でどこへ行ってって、そんな話しかしないんです。」 { セールスマン本村は、いかにも俗っぽく、本物志向の志乃には、魅力的ではなかったようだ。 } 音声のない回想シーン。志乃の手を握ったりする本村。「あたし、何だか味気なくて、結婚ってものに、あんまり期待が持てなくなって、」 階段を上る哲郎と志乃。「本村さんが急げば急ぐほど、あたしは、なんかかんか理由をつけて、式の日取りをだんだん遠くへ延ばしました。すると本村さん…。」 言葉を濁す志乃。「本村さんはどうしたんだ!」 焦る哲郎。「あたしを欲しがりだしたんです!」 「それで、やったのか?」 { 「やった」と言う表現が引っかかり、哲郎のマジっぷりとともに、どうしても笑ってしまうシーン。 } 「やるもんですか♪」と、コミカルなアクション付きで答える志乃。志乃を見る哲郎。階段を先に上がって行く志乃。追いかける哲郎。「ですけど、あんまりしつこいんで困ってしまって、栃木の父へ相談に行ったんです。」 回想シーン。大木の根元に座る父。「バカ野郎! そんなヤツはさっさと断りゃいいんだ。そいつは、おめえの身体をよそへ行けねえようにして、それから強引に話をつけようって、汚ねぇやり方だ。馬鹿にしやがって。そんな野郎に黙ってついて行くこたぁねぇ。」 { 処女性が尊ばれた時代があったらしい。 } 「だって、女将さんが…。」 「何を言ってやがるんだ、女将さんに身体まで売った訳じゃああるめぇし。女には女の意地ってものがあるんだ。目先の条件なんかに釣られて、一生棒に振るこたぁねぇ。そんな条件付きの結婚なんかやめちめぇ。」 真剣な顔の志乃。「志乃。オレのことなんか気にするな。さっぱりとした、きれいな気持ちで生きてくれ。」 涙を浮かべる志乃。「幸せになるもならねえも、相手の男次第だ。いいか、銭が人間を幸せにするんじゃねぇぞ。」 泣く志乃。ギターによるテーマ音楽。「結婚なんてものはな、死ぬほど惚れた相手ができたら、さっさとするのが一番良いんだ。」 { 本作の屈指の名場面である。この辺りは、志乃の父の台詞を追加し、原作を見事に増幅している。特に、銭が人間を幸せにするんじゃねぇと言う台詞は好きである。わたにゃんが好きな女のオヤヂも、こうであったら良いのだが…。 } 現在に戻る。「その、本村って人のこと、破談にしてくれ。」 「はい。」 「もう、なかったことにしてくれ。忘れてくれ。」 「はい。」 { 脅威にすらならず、消え去る本村。三角関係のドラマではなく、一貫して、二人の絆の成長を描いているのだ。 } 背景がぼやけ、二人の世界になる。「そして、お父さんに、あんたの好みに合いそうな結婚の相手ができたって、言ってやってくれ。」 笑う志乃。背景はほとんど黒一色に。「せっかちか?」 「いいえ。」 抱き合い、キスする二人。{ また、一歩前進した二人。 }
 中間字幕「秋のおわり 志乃の 父の容態が 急變した」 坂を駆け上がる哲郎。待っていた志乃。「父がとうとうダメらしいんです。」と、電報を見せる志乃。若い頃からの深酒がもとで、志乃の母の死後も、病状が悪化する一方だった父。金がなく、ゆっくり療養できなかったのだ。「例えどんなことになったって、取り乱しちゃいけないよ。」と、浅草まで送って行く哲郎。「電車が走ってからお読みになって。」と、手紙を渡す志乃。「ぼくが必要な時は、いつでも電報で呼んでくれ。」 「すいません。」 哲郎の手を握り、電車に乗る志乃。電車が去り、手紙を読む哲郎。志乃の語り。「急ぎ、お願いいたします。一目、父に会っていただきたく、お願い申し上げます。両親二人とも、あなた様を見せずに死なせては、かわいそうで、わたくしも悔しくてなりません。せめて父には、あなた様を見せてやりたいのです。そうして、せめて志乃のこと安心して死んでもらいたいのです。勝手ですが、明日、一時の電車で来てくださいまし。多美と言う末の妹を駅まで出させます。」 電車に乗っている志乃。「それから、これだけはどうしても言えませんでしたが、わたくしの家、お堂でございます。神社のお堂でございます。深川で焼け出されて、栃木へ帰っても住む家がなく、お堂の縁を借りて、そのまま住みついてしまいました。あんまりで、びっくりなさって、嫌だなどとは言わないでください。どうぞ、どうぞいらしてください。」 手紙を読む哲郎。「では、明日。どうか間に合いますように。間に合わなかったら、死に顔だけでも見てやってくださいまし。志乃。」 { 「あんたは洲崎で、これで全部だと言ったね。嘘だったのか?」などと、つっ込んではいけないのか??? }
 野道を行く、多美(宮川真理)と哲郎。医者がとっくにだめだと言ってるのに、まだ生きている志乃の父。わざと遠回りをする多美。哲郎が来たとたん、父が死ぬと思っているのだ。哲郎の語り。「私のような無力な男のために、虚空に消えようとする一つの命を、例え数時間でも、つなぎ止めておくものは何であるか。私はそれが不思議であった。」 カラスが鳴く。怒る多美。少年時代に見たウミネコの群れを思い出す哲郎。「私は、志乃の父が死んだに違いないと思った。」 { 鳥が死を暗示すると言う考え方があるが、ここでもそうなのか??? }
 神社に着き、もんぺ姿の志乃が迎える。「着たよ。」 「いらっしゃいまし。お待ちしてましたわ。」 「お父さんは、まだ?」 「ええ。今まで何とか、鞭を打つようにして。」 間違って、弟の仕事場に入ろうとし、お堂に案内される哲郎。父が寝ている。志乃の弟と二人の妹が並んで座っている。哲郎に頭を下げる弟たち。「お父さん、お父さん、おいでになりましたよ。おいでになりましたよ。」と志乃。返事がない父。哲郎の語り。「志乃の父は、明らかに死んだ顔であった。」 嘆く志乃。「せっかく、おいでになったのに。分かんないのかな、父ちゃんは。」 苦しそうな父の息。顔を見合わせる弟たち。多美が布団にすがりつく。「志乃ねぇちゃんのお婿さん。志乃ねぇちゃんのお婿さん。」 上の妹(大西加代子)も呼びかける。弟たちと、志乃、哲郎が棺を運ぶシーンが挿入される。「お婿さん、来たんだぜ。」 「父ちゃん。」 「父ちゃん。」 皆が父を呼ぶ。気がつく父。「お父さん。」と哲郎。「こりゃあ。志乃の父親でございます。」 起き上がろうとする父。「いけません。どうぞ、そのままにしていてください。」 「私が馬鹿で、ろくに子供も育てられんで、いたらぬ者ですが、志乃のことは、何分よろしゅう、お、お、お願い申します。う、う、う、う…。」 呼吸が乱れる父。泣いているが、満足してるような志乃。哲郎は爽やかな顔である。再び、棺を運ぶシーンの挿入。「見える? ねぇ、お父さん、見える?」と志乃。「見えるよ。」と父。「ただ見えるって、どう見える? ねぇ、どう見える? お父さんっ。」 父の顔のアップ。「いい男だよ。」 静かに、ギターによるテーマ音楽。「見えたんですって。いい男だなんて…。」 泣きくずれる志乃。{ 本作の屈指の名場面である。志乃の父を演じた信欣三の演技は完璧であり、自堕落だが、人間らしく生きた男として、忘れ難い印象を残す。 } 哲郎の語り。「翌日。志乃の父は死んだ。」 厳粛な表情の哲郎のアップ。「私は、初めて一人の人間が、尋常に死んでいく様を、つぶさに見ることができた。肉親の異常な死に方に慣れた私は、この父の死の意味を、思わずにはいられなかった。それは、志乃に私を選ばせ、新しく生きさせるための死であった。」 { この秀逸な独白は、原作にはない。ここでも、見事に原作を増幅している。 } 棺を運ぶ弟たち。部屋を片付ける弟たち。「父の死後、志乃たちはすみかを失った。お堂は、その筋の手に返され、兄妹は離散して暮らさねばならなかった。」 { よく見ると、上の妹が侮れないかわいさである。 } 哲郎も一緒に、古い本などを燃やす。「兄さん。これ、結婚のお祝い。何にもないから、これ作ったんせ。どうぞ。」と、ホウキを渡す弟。よろこぶ哲郎。皆、笑っている。{ 志乃の弟を演じたのは、『600 こちら情報部』の司会者、鹿野浩四郎だ。 } 「志乃の弟は、ホウキの製造会社へ住み込み職人として移り、妹たちは遠縁の家へ、そして、志乃は、私が引き取ることになった。」 川沿いの道を去って行く五人の姿。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 淀(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。『方丈記』 }
 { 読み上げられる }中間字幕「その年の 大晦日 私は志乃をつれ 夜行列車で 上野を發った」 { このあたりから、哲郎の表情には影がなくなり、にやけ始める。 } そのまま、哲郎の語り。「私と志乃は、生前、志乃の父が好んだ、惚れてさっさとする結婚を、その父の五七日が明ければ、すぐに実現したいのだった。」 機関車が雪原を走っている。「東北は初めてか?」 「はい。」 「低い空の下で暮らしている、…暗い所だ。」 「そんなこと構わないけど、あたし、上手くやっていけるでしょうか?」 「何を?」 嬉しそうな哲郎。言葉のない志乃。「大丈夫だよ。」 見つめ合う二人。流れて行く雪景色。駅に着いた。{ 哲郎は青森の出身と言う設定なのだが、撮影は山形県米沢市で行われた。駅も「西米沢」。 } 迎える哲郎の母。雪が降っている。下車する二人。哲郎の右手には、志乃の弟のホウキ。「寒いだろ。」と哲郎。「いいえ。」と志乃。哲郎の母とあいさつしあう志乃。「こんな雪降りに、迎えに来なくてもえがったのに。」 「なんのなんの、息子の嫁さんが来るって言うのに、迎えに来ずにおれるってか?」 { ステレオタイプな味がある。 } 雪道を走るタクシー。気さくな運転手が気合いを入れ、何とか、深い雪道を走って行く。雪かきをしている哲郎の父(永田靖)。あいさつは後にと、哲郎たちを迎える父。その様子を隠れて見ている香代。「そんなこと(雪かき)して良いのかい。」と、父を気遣う哲郎。
 コタツのある部屋に入った学生服の哲郎と父母。「志乃でございます。よろしくお願いいたします。」と、廊下に座って、頭を下げる志乃。「こちらこそ。」と哲郎の父。「志乃、もういいからコタツに入れよ。」と哲郎。お土産を渡す志乃。{ このあたり、リアルタイムなので、いやにテンポが悪い。 } 仏壇の鐘を鳴らす父。香代を探す母。呼んでも返事がない。母の声を聞いて、タンスの中を調べ始める香代。「香代、何してんの、こんなところで。」 「去年の春、編んでおいた哲郎ちゃんのセーター、なんぼ探してもないのえ。」 「そんなもの、今探さなくてもいいべさ。志乃さんが来なさったえ。さ、あんたもみんなのところさおいで。」 「いやんだ。あたしみたいなもんが。」 笑う母。「あんたの妹になる人だえ、何言ってるの。」 コタツで志乃を前にして上機嫌な父。恥ずかしそうに入ってくる香代と母。「哲郎の姉でやんす。」と母。「志乃でございます。よろしくお願いいたします。」 「香代です。」 手をついた時、熱いお茶をひっくり返し、あわてる香代。ふきんを渡そうとする父。 { 香代の心情が気になる観客を驚かしたかったようだが、もっと詩的な方法があったはずだ。下手なお芝居みたいで、どうにも気に入らないシーンである。 } 「すみません。」と香代。「あたしこそ、こんなところに置いて。」と志乃。{ この、いかにも説明的な台詞。かなり、苦しい。 } 「香代ねぇさん、どこ行ってたんだ。」 「哲郎さん。セーターでぎてたえ。」 「へぇ、よぐできたなぁ。香代ねぇさん。」 母が割り込む。「香代。そんたなこと、これからは志乃さんがおやんなさることだえ。」 { 何故か、冷たい母。 } 「お祝いに、あげたのし。私…。」と香代。「そうだ、お祝いだ。」と笑い、セーターを着る哲郎。「ありがとう、ねぇさん。」 { フォローしている哲郎。 } 「きれいに編めてますわ。」と志乃。結婚式は、明日の夜、内輪でやると言う父。近くにいる身内も親しい近所付き合いもないと、言いにくそうに話す父。時計が鳴りだし、晩ご飯にすると言う母。志乃は手伝いをしたいと言うが、狼狽する母。「母さん、志乃がそう言うんだから、何かやってもらいなさいよ。」と哲郎。「よその人が見たらどったらに思う?」と、あきれる母。「良いんだよ、この人は。よその嫁さんと違うんだから。嫁が働いて、何故いけないのって言う人なんだよ。この人は。」 みかんをかじり、「よその人が見て、なんっつたっていいじゃないか。世間、世間って、今まで苦労してきたんだから。もう、志乃のことで、キッパリ縁を切らなくちゃ。ま、いいから、志乃を連れて行ってごらんよ。ついたばかりの嫁さんと水仕事するのも、きっと悪い気持ちがしないでしょうから。」 { 間延びしてて、不自然な長台詞。 } 「そうかな。」と母。笑い合う哲郎と母。「私、何も分かりませんけど、教えてください。お願いします。」と、母と香代に頭を下げる志乃。{ とにかくテンポが悪く、繰り返し観る時、このあたりはつらい。 }
 調理する母と香代。「あのぉ、何かやらせてください。」と志乃。「じゃあ、そこの漬け物桶から…。」と香代。「はい。」と志乃。だが、ものすごく冷たいようだ。気遣う母。{ 東北訛りで、「すのさん」と呼んでいる。 }
 コタツでくつろぐ哲郎と母。「今度のことは、あんたには上出来だったな。」と母。会うまで不安だったが、苦労した人は違うと、志乃のことをほめる。「大事にせな、いかんえ。あの人の気立てに甘えたら、いかんえ。」と母。「それはそうと、香代さんはどう?」と哲郎。流し場で話す香代と志乃。眼が不自由なのでひがみっぽいのだと、侘びる香代。何でも言いつけて欲しい、その方が嬉しいのだと志乃。「おやすみなさい。」と、廊下ですれ違う哲郎と志乃。{ 結婚式を終えるまで、一緒に寝たりはしないのだ。 } 階段を途中まで上がるが、顔を洗っている香代が気になる哲郎。哲郎の語り。「私はとっさに、姉が泣いていたのではないかと疑った。志乃が良いにつけ、悪いにつけ、敏感な姉の心は揺れているはずだった。」 顔を洗っている香代。「私は、もし自分が、死んだ兄弟たちの誰かだったら、このままそっと、二階へ上がって行っただろうと思いながら…。」 姉に声をかける哲郎。「おい。」 ふり返る香代。笑っている。「オレの嫁さん。どうかね。」 「良い人。」 「あんたの妹だぜ。上手くやっていけそうかい?」 大きくうなづく香代。「哲郎ちゃん。あたし、生きていても良いの? 生きていても良い?」 「馬鹿だな。何言ってるんだい。ねぇちゃんをひとりぼっちにはしないよ。」 機関車の汽笛が聞こえる。泣きながらよろこぶ香代。{ 地味だが、本作の屈指の名場面。香代にとっても、旅立ちなのだ。 }
 外は吹雪。座敷で、結婚式が始まる。三三九度で、香代が酒を注ぐ。哲郎の盃に注ぎすぎてしまい、「いやぁ。」と笑う香代。笑う父。哲郎の語り。「世の中に、これ以上小さな結婚式はないであろうが、また、これ以上、心がじかにふれ合って、汗ばむほどに温かい式も他にないはずであった。そして、私と志乃にとって、これ以上ふさわしい門出はなかった。」 { 形ばかりの派手な結婚式を揶揄(やゆ)しているようで、しごく痛快である。 } 何か考えている志乃のアップ。{ 哲郎と同じことを考えていたのかも知れない。 } 酒を飲む父と香代。チェンバロが奏でるテーマ音楽。{ この貴族的な楽器は、崇高ですらある。 } 見つめ合って笑う香代と哲郎。「高砂なんぞ、歌いやんしょうがな。」と、歌いだす父。「父さん、父さん。やめにしてくんしゃんせ。」と、やめさせようとする香代と母。{ 歌わせてやればいいのに。 } 哲郎の語り。「打ち続く子らの背信には静かに堪え得た父母も、こんなささやかな喜びには、かくも他愛なく取り乱すのであった。私は、そうしてもつれ合う三人の初めて味わう愉悦を思い、不意に声を放って泣きたいような衝動に駆られた。」
 風呂から上がり、静かに寝室に向かう、緊張している志乃。障子を透ける明かり。大きな日本家屋。{ 時に恐怖すら呼び起こす「家」の意味を暗示する。 } 寝室に入る志乃。鏡を見て、髪をとかしていたら、哲郎が入ってくる。鏡に写る二人。{ 何やら、寓意がありそうだが、よく分からない。 } 「疲れた?」 「いいえ。」 二つ並んでいる布団の片方を枕を残して片付けてしまう哲郎。「雪国ではね、寝る時、何にも着ないんだよ。生まれた時のまんまで寝るんだ。その方が、寝巻なんか着るより、ずっと暖かいんだよ。」と言いながら、着物を脱ぐ哲郎。{ 何回も観ると、どうしても、ここで笑ってしまう。原作にもある台詞だが、一種のユーモアなのか。 } 画面の手前で、固まっている志乃。仏壇に向かっている哲郎の父。{ 生命の連鎖、宿命の連鎖を暗示している。 } 白い寝巻になり、明かりを消す志乃。哲郎は布団に入っている。「あたしも寝巻を着ちゃいけませんの?」 「ああ、いけないさ。あんたはもう、雪国の人なんだから。」 { 素晴らしい論理だ。ここまで大胆だと、見事である。 } うなずいて、寝巻を脱ぐ志乃。弦楽器の怪しいフラジオレット奏法が聞こえてくる。カミソリで皮膚を切るような怖い音楽だ。{ 優しくもなく、温かくもなく、輝かしくもなく、音楽的ですらない音楽。本能的に感じる恐怖を暗示しているのかも。本当に愛していれば、処女を奪う男の方も恐怖を感じるのである。 } 「ごめんなさい。」と、布団に入る志乃。志乃に重なり、キスする哲郎。志乃の父の棺を運ぶ場面が蘇る。「お父さん、見える? ねぇ、見える? お父さん。」 「ああ、見えるよ、いい男だよ。」 痛みに堪える志乃。{ 人間の命も、生理的嫌悪感を呼び起こすような小さな虫の命と何ら変わるところはない。その儚さと、生の営みの不気味さにおいて。 } 哲郎の語り。「その夜、志乃は巧みに作られた人形であった。そして私は、初舞台を踏んで、我を忘れた、未熟な人形使いであった。」 { 原作にもある台詞だが、松村禎三の音楽の方が雄弁である。 } 仏壇の1本の蝋燭の火。{ 父は眠ったのか??? 一度消えてしまえば、もう自ら灯ることがない。人間の命は、1本の蝋燭のようだ。喜びはつかの間のもの。新しく生まれる命も、100年後には、生きてはいない。生命の連鎖は、実は、死の連鎖なのだ。 } 並んで寝ている二人。呆然としている。「どうだ、暖かいだろ。」 「ええ、とっても。」 { 命の温かさについて、口を動かさず会話する二人。つまり、遠まわしに、良かったと言ってるのだ (〃ノ∇ノ) } 布団の上から二人を見下ろすカメラ。「お父さんも、お母さんもお姉さんも、良い方たちばかりですわ。でもあたし、何にもできなくって、恥ずかしいわ。」 アングルが変わる。「今、こうしてると、あたしが今まで、どんなに無駄に暮らしてきたか、よく分かるんです。」 また、上から。「したいことも、したくないことも、忍んで忍んで…。」 「忍ぶ川の、お志乃さん。」「いいえ、もう忍ぶ川なんか、さっぱり忘れて、明日からは別の志乃になって。」 不器用にキスをする哲郎。再び、抱き合う二人。遠くから、鈴の音が聞こえてくる。「何の鈴?」と志乃。「バソリの鈴。」 「バソリって、なぁに?」 「馬が引く、ソリのことだよ。在のお百姓が、町へ出て、焼酎飲みすぎて、今頃、村へ帰るんだろ。」 「あたし、見たいわ。」 毛布を身体に巻きつけ、外を見る二人。外は明るく、馬が引くソリが雪原を走って行く。雪明りに照らされる二人の顔。{ まるで、黒澤明『白痴』の1シーンようだ。 } 走る馬。鈴の音。{ 力強い生命のきらめく音。 } ハープに乗ったギターによるテーマ音楽。{ ここから、原作を逸脱する。もはや、リアルな恋愛映画ではない。映像と音楽の輝かしさで、神話的とも言える領域に到達する。あるいは、二人が見た夢なのか。 } 毛布が落ち、キスして抱き合う二人。弦楽合奏が入り、次第に力強くなる音楽。ウミネコの群れ。「あたし、死にたくないわ。あなたも死なないでください。」 横たわる哲郎に、上から重なり、微笑みながらキスする志乃。{ この物語で、夜空から降臨した志乃は、哲郎の暗い命を救済したのだ。 } 再び、哲郎が上になる。{ 床が冷たかったからではなく、志乃を支えて生きるのが、夫となった哲郎の使命なのだ。 } 光に包まれ、求め合う二人。「志乃!」 「あなた!」 一斉に飛び立つウミネコの群れ。{ それでも、世界は命であふれている。死という宿命と闘っている。 } 輝かしい音楽とともに、延々と続くウミネコのシーン。
 雪原を走る蒸気機関車。音楽は続いている。客車の椅子で向かい合う、学生服の哲郎と志乃。景色が流れて行く。「あ、見える見える」と志乃。「ごらんなさい、見えるわ見えるわ。」 「何だ、何が見えるんだい。」 「家(うち)が。あたしの家。」 「ああ、見える見える。」 二人に気づく女の客(菅井きん)。「ね、見えるでしょ。あたしの家が。」 感極まり、哲郎に寄り添って、泣き出す志乃。突然、大笑いする菅井。{ 妙な存在感のある、女の怪優。 } 「哲郎さん、どちらへ?」と菅井。「大滝温泉さ、いぐんだ。」 「ええごっとぉ。けなりぃのお!」 周りの客が見ている。「けなりぃ、けなりぃ。」と、どっかのオヤジ。「奥さん、みんなが二人のこと、うらやましいって言ってんだよ。え。」と、注釈する菅井。笑いに包まれる二人。横に並んだ二人に、流れて行く景色が重なる。雪の中を進んで行く機関車。{ ハッピーエンドなのだが、人生という旅の途上であることを感じさせ、余韻が残るラストである。人生は、下車するまで続くのである。 } 「終」の文字。


ツッコミどころ

  • 美男美女の恋物語は、お約束なのかも知れないが、素朴さを欠いてしまうのである。つまり、どう考えても、私こと哲郎がカッコよすぎる。わたにゃん的には、岸田森を起用した方が、作品としてのリアリティがあったと思う。岸田森で観たかった (ノд`) しかし、仮に、清水紘治(正しい紘は「糸宏」)を起用してしまうと、別の物語になってしまうので、やりすぎは禁物である。
  • 志乃に、ソデにされた潮田(下の名は不明)、婚約を破談にされた本村幸房らが、いかにもさえなくて、悲しくなる。本村幸房に岸田森を起用していたら、ずっと緊迫感が倍増していたはずである。しかし、清水紘治(正しい紘は「糸宏」)を起用してしまうと(以下、略)
  • 志乃が栗原小巻で良かった。それなりに庶民っぽさもある。ちなみに、当初、予定されてた吉永小百合だったら、とても観る気になれなかった。あくまで、わたにゃんの好みの話だが (〃∇〃)
  • ウミネコの群れ飛ぶシーンで、フンをするヤツがいる。

わたにゃんが感情移入した人物

 いつしか、哲郎と一体になっていた (≧∇≦)


ふと思ったこと (*´∀`)

 モノクロ・フィルムの使用は大成功だったと思う。また、敢えて古い効果も多用し、1950年代の映画を思わせる時がある。1950年代に青春時代を送った人への敬意なのだろうか (〃∇〃)
 原作には続編があるのだが、本作に満足し、何も疑問を持たなかった人は、読まない方が良いかも知れない。それだけ、映画としての本作の完成度は高いと思う (≧∇≦)
 最後に突然、「結婚」と言い出す『耳をすませば』だが、その言葉が空転してるのは明白。ただ、壮大な言葉をひっぱり出しただけで、それを支える土台が作品中にはない。つまり、『耳をすませば』は、その言葉を使いながらも、「結婚」が何たるかの答えを出していないのだ。ただ、一緒にいたいと言うだけ。だから、甘さを感じてしまうのだ (ノд`) そして、壮大な言葉の神通力を利用しているのが見えすぎる。あたかも中学生が、剣道の練習試合に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を持ち出したような ( ゚∀。) だから、『耳をすませば』のラストシーンは、軽く流すのが正しいと思う。子供らしくて良いなと…。最後にフォローするが、『耳をすませば』は「行程」が素晴らしいのだ (≧∇≦)


  Ver. 0.12 2011年07月03日27時01分頃、完了。


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